「人を助けたい」という強い思いを持って看護師になった柿沼さん。大学病院のオペ室で4年間勤務しましたが、二次救急で世の中のニーズに応えたいと考え退社。しかし、埼玉医大病院を辞めてから勤務した病院では違和感を覚えて……。救命とは何か、という根源的な問題を考えるようになります。その思いを、じっくり伺ってみました。

*柿沼恵子さんインタビュー 1回目2回目3回目4回目(最終回)

柿沼恵子(かきぬま・けいこ)さん

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川越救急クリニック看護師長。看護専門学校卒業後、埼玉医科大学総合医療センターに勤務。手術室に4年間勤務後退職。常勤で二次救急指定の大学病院に勤務、ICU/救急外来兼任の部署に配属。勉強会で知り合った埼玉医科大学の上原淳医師が川越救急クリニックを開業すると聞き、二度目の勤務先を退職し、二次救急病院の手術室にパートタイムで勤務しながら待機し、開業とともに川越救急クリニックに転職。6年目となる。クリニック以外でもさまざまな医院・老人ホームなどで経験を積むためにパートタイム勤務。

まずは別の二次救急の病院に勤務した

――埼玉医大病院を辞めて、すぐこの川越救急クリニックに勤務したわけではないのですね。

はい、埼玉医大をやめたあとは、再度、二次救急指定の大学病院に勤務し、ICU/救急外来兼任で働きました。その病院は手術室があり、二次救急としては設備が整い、幅広く患者さんを受け入れられる環境でした。救急の現場で実務を数多く経験できると思ったのです。

さまざまな症例を目の当たりにし、治療のサポートをすることが、看護師としての自分を成長させます。本を読んだり、セミナーに行ったりすることも大事ですが、とにかく目の前の患者さんを救う経験が多いほうがいい、と思っていました。しかし、思っていたような経験を得るのは難しかったのです。

――なぜですか?

その病院は、似たような症例の患者さんを多く受け入れて手術をしていました。救急車から診療の依頼がきても、同じような症例の患者さんをとることが多かったので、自分の経験の幅が広がらないのでは、と感じました。

実際に二次救急で働くことで、救急車で運ばれている患者さんの受け入れ先がなかなか決まらない「たらい回し」の現状も理解できるようになってきました。しかし、看護師としてこれでいいのか、という思いも強く持ちました。

上原医師の理念に共感して

川越救急クリニックの出動車。左はなんとプジョー!
川越救急クリニックの出動車。左はなんとプジョー!

ちょうどそのころ、勉強会で、現在私が勤務する川越救急クリニック院長である上原淳医師と知り合いました。上原はその頃、埼玉医大の総合医療センター・高度救命救急センターで医局長、講師として勤務。救急医療の問題点について痛感しているようで、熱く語っていました。

当時、埼玉県は救急車の受け入れに関しては、全国でもワースト3に入っていました。特に、二次救急医療機関の受け入れ状況は非常に悪く、三次救急である救命救急センターの負担が増加し続けていました。

救急患者さんの7~8割は一次・二次救急で対応可能です。救命救急センターで風邪や中耳炎の患者さんばかりを診ていたら、重症患者さんが診られませんし、宿直の医師は眠る暇がないのです。

上原がよく言うのですが、「大学病院などに医師が勤務するのは、自分の研究領域を深められるから。それなのに、軽症の患者さんを診ることに時間を取られると、医師のモチベーションが上がらない。埼玉の救急の状況をよくするためにも、大学病院の医師のレベルアップのためにも、夜間救急専門クリニックは必要なのだ」。
私はその話にすぐに共感しました。すると、「実は、二次救急のクリニックを作ることが決まっている。開業したらぜひ来てほしい」と誘われたのです。

そこで、「今勤務している大学病院を退職しよう」と決心しました。経験を積みにくく、医療の問題を解決しにくいところにいる自分を変えたいという思いもありました。それで、退職届を出し、川越救急クリニック開院までの間は、二次救急のクリニックでパートタイムで働き、待機することにしました。

次回は、夜間専門クリニックで働くことへの思いを伝えていただきます。

<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>

*柿沼恵子さんインタビュー 1回目2回目3回目4回目(最終回)

夜間救急専門クリニック 看護師の仕事内容

*柿沼さんが勤務する川越救急クリニックの場合

■夜間に発生する、救急車の二次救急依頼をできるだけ受け入れる。
■二次救急で運ばれてきた患者さんを素早く診療するためのサポートを行う。
■必要な検査機器などの準備をする。
■医師が行う処置のサポートをする。
■処方に従って薬の準備をする。
■夜間外来での診療のサポート、薬の処方などをする。