看護大学を卒業後に就職した大学病院で4年経ち、学生時代からの目標だった青年海外協力隊に応募したい意思を伝えたA・Tさん。
ところが、師長に引き留められ、勤務を続けることにしました。それは、いま自分を必要としてくれている場所で、役割をきちんと果たすことが大切だと思ったからです。

こうして、Aさんが青年海外協力隊に参加するために退職したのは、就職して6年後のこと。少し時間がかかりましたが、自分は海外で何ができ、どんな役に立てるのか考えながら、看護師としての知識と技術を高めていくのに必要な時間だったと話します。

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A・Tさん(35歳)のプロフィール

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●看護業界歴…13年

●看護の仕事に就く前…看護大学

●転職回数…1回

●現在の勤務先…東京都区立保育園

●いままでの勤務先…大学病院(小児外科)、ボランティア:JICA・青年海外協力隊(ベトナム看護隊員)

●保有資格…正看護師、保健師

看護師の新人教育は「どんな時も味方でいる」を心がける

就職して4年目の終わり頃、青年海外協力隊の看護師隊員になりたいという目標をはじめて師長さんに話しました。この時、言われたのは、「あなたがいま抜けるのは痛いから、ここにいなさい」の一言でした。

拍子抜けするほどアッサリ(笑)。でも、師長さんはとてもいい方ですし、口調も穏やかでやさしいんですよ。だから私も、引き留めていただいたことに感謝し、「分かりました」と答えました。

師長さんから引き続きやって欲しいと言われた一つは、新人教育です。
大変で難しい役割ですが、私は自分なりにこう決めていました。
それは、自分が新人の時にされてイヤだったことは絶対しない。そして、何があっても味方でいてあげようということです。

たとえば、面と向かってはいい顔をしながら、その裏で悪口を言ったりはしません。
「こんなことも知らないの? どうして勉強してないの?」と責めることもしません。
患者さんを受け持つ前に、薬や処置などについて尋ね、気づきを与えてから、「じゃあこのことを勉強したほうがいいよ」というふうにしました。
そして、言葉では「味方でいる」とは言いませんけど、何かあったと思ったら話を聞き、対話をして伴走するようにしました。

師長さんは、そうした指導を期待してくれていたのかもしれません。あるいは、新人教育やリーダーの役割を通して、私自身がもっと成長するようにと考えていたのかも・・・。
1年後、また面談で青年海外協力隊のことを話すと、「あら、そんなに言うなら1回行ってきなさいよ」という意外な答えが返ってきました。

大学病院で学んだことを国際協力に役立てたい

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青年海外協力隊の任務は原則2年間。転職ではなく、あくまでもボランティアで、基本的にキャリアにはなりません。
それまでの勤務先を退職して行くわけですし、帰国後はまた自分で仕事を見つけなければいけません。また、派遣先によっては過酷な環境になることもあります。
それなりの覚悟が必要だからこそ、師長さんは、私が本気かどうか試すために最初は慰留してくれたのだろうと思います。

5年目の終わり頃に了承していただき、それから青年海外協力隊の試験を受けて合格。6年まるまる働いて退職しました。
実は、いざ行くことが決まってから急に不安になり、師長さんに「やっぱりここで働きたいです」と言ったことがあるんですよ。すると師長さんは、「何言ってんの、行って来なさいよ。そして、ここにまた戻ってきて」と背中をポンと押してくれました。

看護大学を卒業してから6年間お世話になった病院ですから、いざ離れるとなると、やはり寂しい気持ちはありました。
でも、ここでたくさんのことを学ばせてもらったから、どこへ行っても大丈夫。そう思うと勇気が湧いてきました。

エビデンスが分かったうえで看護しなければいけないこと、新しい知識をつねに勉強しなければいけないこと。そして、何よりも、「患者さんのため」を考えて行動すること・・・。
ここで身に着けてきたことを生かし、開発途上国の人のために自分ができることが何かあるはず。配属先がどこの国に決まっても、その病院の役に立てるよう頑張るつもりでした。

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次回は、ベトナムの小児科病院に派遣されてから2年間の国際協力活動を振り返ります。

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