順調にキャリアを積み、教員の夢も抱いた頃に、乳がんに罹患した高田さん。看護師としての大きな転機も迎えました。このあと、高田さんはどんな人生を歩んで行こうと考えたのでしょうか? 看護師として、がん患者としての高田さんの考え方を聞くことは、読者のみなさんにも大きな糧になると思います。ぜひ読んでください。

*高田芳枝さんインタビュー 1回目2回目(前回)

高田芳枝(たかだ・よしえ)さん

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栃木県立衛生福祉大学校卒業後、栃木県立がんセンター勤務。血液内科・骨軟部腫瘍科、手術室、ICUを経験した後、人事異動のため母校の看護教育に従事する。教育にやりがいを見出し、大学院入学を考えていたころ、乳がんを発症。治療後、児童福祉施設の看護師として勤務し、後に栃木県立がんセンターに戻る。緩和ケア、外来化学療法センターを経て、画像診療部門の担当に。2年前のマギーズ東京設立の構想時点からスタッフとして関わり、マギーズ東京のヒューマンサポートチームの看護師としても活動中。
(マギーズ東京に関しては、こちらを参照)

病気以外のことを話す相手がほしい

――ご自分が看護師として勤務する病院で、患者として入院をして感じたことなどはありますか?

治療に関しては、信頼できるドクターにお任せし、いい結果をいただきました。看護師たちにも、いいケアをしてもらったと思っています。

でも、患者になってみないとわからないこともたくさんありました。それは、患者の気持ちは、ほかのだれにもわからないということです。

医療従事者ほど、患者のことをわかっているつもりでわかろうとしない人たちはいない、とまで思いました。医療の観点で患者を見て、「患者はこういうもの」「こう考えるはず」と決めつけられることに、心が痛みました。自分の中にある死や再発への不安定な気持ちや、手術による感覚の変化、補助療法による不快な体調の変化、そうしたものを、到底理解してもらえないと思ったのです。

もっとわかってほしいと、逡巡しました。けれど、そのうち、「わからないのはしかたがない」と思えるようになりました。とはいえ、「わかっていないんだ」ということをわかってほしい。わかったつもりの医療従事者に何か言われることで、患者が傷つくことを理解してほしいと思うようになりました。しかし、かつての自分もそうだったかもしれないと、反省もしました。

また、病気に関しては病院がある程度は解決してくれますが、大きく変わってしまう日常生活や人生について、相談したり、心の内を話したりできる人があまりいないこともつらく感じていました。

病気になったことで、大学院に行って大学の教員になるという夢はあきらめました。たとえ教員になっても、今後どのような治療になるかわかりません。途中で手術や治療のために抜けることになり、迷惑をかけると思ったのです。そう思うと、踏み出せませんでした。

また、先がわからないので、家族を持つこともやめよう、身軽でいようと思いました。そこまで考えなくても、という人もいましたが、自分はそう考えることしかできなかった。

そんな気持ちを受け止め、話し相手になってくれる人がいたら……。その思いが、後の病院での仕事への向かい方や、マギーズ東京(詳しくは、こちらを参照)での活動にもつながっています。

子ども達の可能性を高める児童福祉施設の看護師に

画像を用いた他職種カンファレンスの様子
画像を用いた他職種カンファレンスの様子

――教員の夢を諦め、どんな道を進もうと思ったのですか?

今後は、看護師としてどうしていこうか…いろいろ考えましたが、働く場を変えたいと思い、児童福祉施設、こども療育センターの看護師として勤務することになりました。「まだ夜勤は大変」と言ってくれる人もいましたが、仕事上、夜勤は避けられませんでしたし、夜勤をすることで、子どもたちに正面から接することができる、という思いもありました。人は夜になると、日中とは違う本音をさらけ出すことがあると考えているからです。

こども療育センターには、肢体不自由児が主ですが、中には家庭の養護性の問題などの要因がある子たちが入所し、訓練を受けています。通常は15歳、高校進学をすると18歳までいられます。先天障がいの子どもは知的障害も併存している場合が多く、訓練に対するモチベーションを維持することが難しいです。そのモチベーションをどう上げて、スムーズに退所して大人になってもらえばいいのか。

ずっと医療の立場で患者さんと向き合ってきましたが、ここでは成長発達と福祉という視点で、障害のあるお子さんと接する。それも初めての体験で、難しいと思うこともありました。けれど、頻回にナースコールする患者さんや、せん妄の患者さんに寄り添ってきたその経験を、ここでも生かすことができました。

親との愛着形成がうまくできずに入所してきた子に、まずは、自分が愛情を注ごう。愛着を求めていつも私のところにすり寄って来てべたっとくっつく子。その度に受け止め、抱っこする。そんなことを繰り返すと、私から離れなかった子が、少しずつ子どもたちの集団へ入っていく。やがてその子は、私とはハイタッチをするくらいで、楽しそうに子どもたちの集団に交わるようになるのです。そんな姿を見ると、胸が熱くなります。

それに、小学校入学時には日常生活が全介助の子がいました。その子が、私がいた2年間で、お着替えが大部分自立できるようになったのも、うれしかったですね。理学療法士や作業療法士とも連携をしながら、子どもたちの可能性を高めていく。障がい児ケアの世界に光を見出し、護師の仕事としても充実感を感じていました。

次回の最終回は、がん体験者として、がんを患った人たちにどう接するか。その思いを未来につなげる働き方についてお伝えします。

<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>

*高田芳枝さんインタビュー 1回目2回目(前回)

高田さんが考える 「現在の職務である、画像診断部門看護師のやりがい・楽しさ」

■診断から緩和ケアまで、がん診療すべてにおいて看護師として、患者さんの全体を見ながら必要なことを判断して専門職につなげられる。
■患者さんをよりよく看護することによって、良い意味で患者さんの気持ちが変化する。不安そうな様子が、イキイキした姿に変わるのを見ることができる。
■遺伝子検査が治療に必要なことが多いため、看護倫理は重要。教育委員として看護職員に倫理を教えることで、看護を良い意味で追求していける。