結婚と同時に看護学校に行き、30歳で看護師になったA・Kさん。スタートが遅れた分、現場でスキルを鍛えられることが楽しく、また、「気合いもすごかった」と話します。
ところが、就職して半年後、家族の介護問題が発生。家族としての役目を果たすことを優先し、退職したAさんでしたが、いつでも1からやり直してみせるという持ち前の根性で転職のときを待ちました。

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A・Kさん(42歳)のプロフィール

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●看護業界歴…12年

●看護の仕事に就く前…看護専門学校

●転職回数…6回

●現在の勤務先…介護老人保健施設

●いままでの勤務先…大学病院(小児科)、総合病院(不妊外来)、総合病院(整形外科)、保育園、療養型病院(地域包括病棟)、総合病院(呼吸器内科)、介護老人保健施設

●保有資格…准看護師、正看護師

大学病院に就職した半年後、義父の介護で退職

看護学校を卒業し、学校の実習先でもあった名のある大学病院に就職しました。ここは、看護部の力が強い病院です。

明るい職場で楽しく働く取り組み、「FISH(フィツシュ)哲学」を日本で初めて看護の現場に導入したのもこの病院です。看護師がイキイキと輝くことで、患者さんによりよい看護ができるという考えですから、私もすんなり職場にとけこめ、ここで看護師として成長できることを嬉しく思っていました。

ところが、入職して半年後、夫の父が脳梗塞で倒れるという、家族の一大事が起こったのです。介護をするのは義母ですが、お義母さんを手伝い、ケアするのも介護のひとつ。看護師になったばかりで悩んだものの、「いまは嫁としての責任を果たすとき」と考え、退職することにしました。

「せっかく有名な病院に就職できたのに、うちの親のために辞めるなんてもったいない。でも、一度こうと決めると、絶対引かないお前らしい」。
そう夫はあきれていましたけど・・・(笑)。

私としては、いま優先すべきはどちらか考え、決断しただけ。それに、新人教育を3カ月間みっちり受け、とても勉強になり、自分としては十分に充実感を感じていました。

介護がいつまで続くかわからないけれど、お義父さんが元気になったとき、1からまたスタートすればいい。そう思っていました。

不妊治療に携わり、女性の気持ちに寄り添う

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幸い、義父の術後の回復は早く、前病院を退職して数カ月後にはまた看護師として再出発することができました。

転職したのは、不妊治療で名高い病院です。
不妊外来の予約だけでも、常時何百人もいるほど。
私は院長と副院長付きとなったため、仕事は多忙をきわめながらも、不妊治療の最前線をつぶさに知ることができました。

離婚届をつねにバッグに入れ、治療にやって来る方もいました。それだけみなさん切実なんですね。それだけに、妊娠できるとそこで燃え尽きてしまう方もいて、そうした方の精神的サポートも必要になっていました。

妊娠はゴールではありません。無事な出産に向けての始まりです。
たとえば、胎外受精で妊娠した場合、安定期に入るまではホルモン注射を続けなければいけません。そうしたケースでなくても、妊婦健診をきちんと受けなければいけないのですが、妊娠がゴールになっている人は、そこで達成感を感じ、健診に来なくなることもあるんですね。

とてもナーバスなことなので、業務についてはあえてお話することは控えますが、それでも、同じ女性として、患者さんの気持ちはよくわかっていたつもりです。
というのは、この頃、私は流産を何度か経験していたからです。

当時、30代前半。流産はつらいことでしたが、子どもを授からなくても、それはそれでしょうがないと思い、私自身はとくに治療をしようとは考えていませんでした。

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次回は、2年後に転職してまもなく妊娠。母となったAさんに訪れる試練と葛藤の日々をお伝えします。

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