最初に就職した大学附属病院に2年間勤務した後、市立病院に移り、10年。ナースとしてのキャリアを着実に積み重ねる一方、結婚して二人の子どもの母となったS・Mさん。仕事と育児が両立しやすい職場環境も手伝って、忙しくも充実した毎日でした。ただ、そろそろスピードダウンし、もう少しゆったりした気持ちで働いてみたいと思い始めます。

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S・Mさん(41歳)のプロフィール

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●看護業界歴…20年

●看護の仕事に就く前…看護専門学校

●転職回数…5回

●いままでの勤務先…大学附属病院(婦人科)、市立病院(内科、婦人科、産科、透析科、保育園)、有料老人ホーム、デイサービス、老人保健施設、シニアマンション

●保有資格…正看護師

公務員になる道も諦めず、市立病院に転職

image003看護学校卒業後に就職した大学附属病院は、2年後に退職しました。
奨学金を返し終わる“お礼奉公”の期限がちょうど2年。これをひと区切りにして、次を考えようか、と思ったときに頭に浮かんだのが、高3のときに受かっていた公務員試験です。自治体などから幾つか内定も出ていたのですが、看護学校に進学するために辞退したことが、実はずっと気になっていたんですね。

「ナースになってよかったし、後悔もしていない。でも、その代わりに公務員になるのをあきらめたのは、ちょっと残念だったかも・・・」。そんな話を父にしてみました。すると父が、「市立病院なら、看護師も公務員だよ。受けてみたらいいじゃないか」と。

父はソーシャルワーカー。保健所に勤務している公務員です。公務員になりたかったのは、父の影響でしょうか。それはともかく、父から思いがけないアドバイスをもらって、実家のあるI市の市立病院に応募しました。

ここは、私が高3まで暮らしていた地元の病院。同じマンションにこの病院のナースさんたちが何人か住んでいました。小学校のときに盲腸になり、非常階段に座り込んでいた私を部屋に入れてくれ、寝かせてもらったこともあります。

鍵っ子の私にやさしくしてくれたナースさんたちが働くゆかりのある病院で、今度は私が地域の人たちに恩返しをしたい。そう思って、初めての転職をしたのが、いまから18年前のことです。

主任試験を受けるかどうかが分岐点

image005市立病院に勤務して1年後に結婚しました。
挙式を控えたある日、夫が「これを読んでみてくれる?」と1冊の本を手渡してくれたのですが、それは、彼のお母さんの著作。なんと、看護や保健の世界では有名な方でした。
すでに他界していたので直接お会いしたことはありません。でも、ナースの大先輩、それも、私が足もとにも及ばない大先達に、こんなかたちでご縁があったのかと思うと、本当に不思議な気持ちです。

結婚した翌年に長男、その2年後に長女を出産しました。市立病院は、産休もとりやすく、部署も婦人科や産科などに異動させてもらうなど、とても恵まれた環境でした。保育園もあり、自分の子どもを預けながら、保育園勤務をすることもできました。

内科から始まり、婦人科、産科、透析科、そして保育園まで10年。忙しい子育て期をやり抜いてこられたのも、働く母親に対するサポート体制が充実しているおかげだったと思います。

ただ、チームリーダーや育成担当を任されるようになると、話は違ってきます。そろそろ主任試験を受けるようにと言われたとき、「はい」と即答する自信が私にはありませんでした。

ちょうど長男が小学生なったときで、かつての私のように鍵っ子にさせるのはかわいそうかなという思いもありました。「完璧な母親でないといけない」という気負いもあったのかも? 思いこみですけれど(笑)。

とにかく、いままでずっと走り続けてきたので、ちょっとスピードを落として、クールダウンしてみたい。そう思い、ゆるやかに働ける場所を探して見つけたのが、医療系の有料老人ホーム。お給料も悪くなく、時間ぴったりに帰れる。希望にかなった条件でした。

総婦長さんや婦長さんが毎日のように引き留めに来てくれたのですが、心からお詫びと感謝を申し上げ、こうして10年間勤務した市立病院を退職しました。

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次回は、介護業界に飛び込んでからの葛藤や新しい出会いをお伝えします。

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