看護師になりたい気持ちの一方、海外で働く夢も持っていたというA・Tさん。その2つが合わさり、1つの目標になったのが看護大学時代。
JICAの青年海外協力隊の活動を知り、看護師隊員としていつか海外に行ってみたいと思うようになりました。

看護師の活躍の場は国内にとどまりません。Aさんのように青年海外協力隊を目指したり、国際協力のNPOやNGOへの転職を考えるなど、海外に目を向けている人もいるのではないでしょうか。
もちろん、そうでない人にとっても、目標を叶えていくAさんの道のりは、いろいろな可能性に挑戦することの参考になるはずです。
4回にわたってお伝えするAさんの看護師転職ストーリーを、じっくり読んでみてください。

*看護師転職ヒストリーAさん 1回目2回目3回目4回目(最終回)

A・Tさん(35歳)のプロフィール

image003
●看護業界歴…13年

●看護の仕事に就く前…看護大学

●転職回数…1回

●現在の勤務先…東京都区立保育園

●いままでの勤務先…大学病院(小児外科)、ボランティア:JICA・青年海外協力隊(ベトナム看護隊員)

●保有資格…正看護師、保健師

将来の目標を見つけた看護大学時代

「これからの女性は手に職をつけて、自立できるようにしなさい」。母からそう言われて育ったこともあり、私はずっと看護師になりたいと思っていました。
でも、看護師になる決心を固めたのは、看護大学に入学してから。高校時代までは、なんとなく看護師がいいかな、くらいの気持ちでした。

ナースのみなさんがご存じの通り、看護の勉強は中途半端な気持ちではできません。
まず、看護師の国家試験受験資格を得る必修科目がぎっしり。加えて看護大学は、保健師の受験資格を得るための科目、一般教養科目、英語、第二外国語なども必修です。
単位を修得するのが大変だからこそ、目的意識を持って勉強するようになったのだと思います。

看護師になることのほかに、実はもうひとつ、興味を持っていたことがありました。それは、海外で仕事をすること。だから、看護大学でも語学を学べるのが嬉しく、国際関係に関する選択科目もできるだけ取るようにしていました。

そういえば、先輩の中には航空会社に就職してCAになった人もいたんですよ。本当に異例ですけど、「そんなチャンスもあるんだ」と驚いたのを覚えています。もちろん、私がCAになれるわけでも、なるつもりもありませんでしたけど(笑)。

海外に行ってみたいし、行く以上は遊びではなく、目的意識を持って行きたい。そんな話を友達としていた時に出てきたのが、JICA(ジャイカ)の青年海外協力隊です。

いつか青年海外協力隊の看護師隊員になり、開発途上国の人々のために働きたい。そうできるように、しっかり知識と技術を身に着けていこう。この時から、国際協力が私の将来の目標になりました。

「分かりません」は許されない、小児外科での看護師教育

image005

私は近畿の出身。学んだ看護大学は関西の県立単科大学です。卒業生の多くが関西の病院に就職するなか、私は東京に行くと決めていて、東京の大学病院に就職しました。

配属は小児外科です。子どもが好きだったので小児外科を希望したのですが、その通りになったのは、もしかして希望者が少なかったからでは(笑)? そう後になって思うほど、厳しい先輩が多いことで知られていた病棟でした。

「この子の病名は? どうしてこの薬を使っているの? どうしてこの処置をするの?」
答えられないと、「どうして勉強してないの?」と言われ、患者さんを受け持たせてもらえません。看護師の国家試験の時、人生でこんなに勉強したことはないと思いましたけど、働いたら、もっとそれ以上。とにかく必死で勉強しなければいけない毎日でした。

つらいと思うことはあっても、それでも私は、辞める気はまったくありませんでした。
いまここで辞めたら何も残らない。一通りのことができるようになるまで、最低でも3年頑張り抜こう。そう思っていました。
それに、時に意地悪だったりすることもある先輩方も、仕事に手抜きをすることはありません。「患者さんのための業務だから」「患者さんのための教育だから」。そこは筋が通っていましたし、尊敬もしていました。

こうして新人教育やリーダーも任せていただくようになり、4年目も終わろうとしていた頃です。毎年ある師長さんとのキャリア面談の際、青年海外協力隊として国際協力をやってみたいという考えを初めて話してみました。
ところが、師長さんの答えは「NO」でした。

○      ○      ○

次回は、さらに大学病院で経験を積み、目的を叶えるまでのAさんの歩みをお伝えします。

*看護師転職ヒストリーAさん 1回目2回目3回目4回目(最終回)

ナースエージェントの求人数は国内最大級! 自分らしい仕事が探せます。