青年海外協力隊の派遣先は、世界約80カ国。「アフリカ、もしくは、世界のどこでも」と希望を出したA・Tさんは、ベトナムの地方都市にある小児科病院に配属されました。
言葉や文化、医療体制、施設設備・・・さまざまな壁に最初は戸惑いながらも、心やさしいベトナムの人たちの懐に飛び込み、一生懸命に看護に取り組んだ2年間。そこでAさんは、かけがえのない経験をすることができました。

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A・Tさん(35歳)のプロフィール

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●看護業界歴…13年

●看護の仕事に就く前…看護大学

●転職回数…1回

●現在の勤務先…東京都区立保育園

●いままでの勤務先…大学病院(小児外科)、ボランティア:JICA・青年海外協力隊(ベトナム看護隊員)

●保有資格…正看護師、保健師

新生児科の業務は理解できても、意思疎通が困難

6年間勤めた大学病院を退職後、まず、2カ月間にわたって合宿で行われる派遣前訓練を受けました。
私の派遣先は、ベトナム。ベトナム語やベトナムの文化などを集中して学んでから、現地に向かいました。

配属されたのは、ハノイから南へ2時間ほど下った中規模都市にある小児科病院です。
産科もあり、私は新生児科に所属。主に低体重出生児のケアをする部門ですが、私が行ってからできた新しい科でした。

それまで私は、新生児科は経験していません。とはいえ、小児外科で生まれてすぐ手術した子のケアはやってきましたので、保育器の使い方も慣れていますし、業務の流れも分かっています。問題は言葉の壁で、最初のうちは意思疎通に苦労しました。

合宿研修で2カ月間、ベトナム語を勉強し、基本的な会話はできるようになっていたものの、発音が難しく、ベトナムに行ってからも語学学校に1カ月通いました。
それでも、「何を言っているのかわからない」と言われ続けたんですよ(笑)。
でも、ベトナムのみなさんは、とてもいい人たちで、私が言おうとしていることを分かろうとしてくれ、「○○○は、こう言っているんだよ」と、必死に訳そうとしてくれるんですね。

逆の立場だったらどうでしょう。たぶん私なら、面倒くさいと思ってしまったかもしれません。それなのに、言葉もよく分からない私を受け入れ、親切に接してくれたベトナムの医師や看護師さんたち。
おかげで半年も経つ頃には言葉も上達し、スムーズにコミュニケーションがとれるようになりました。

日本と比較はせず、看護師として同じ目線で一緒に考える

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言葉以上に難しかったのは、異文化理解です。
たとえばベトナムでは、調理をする時などは床の上でするのが昔ながらの習慣です。そのためか、病院内では床上30センチは不潔区域といわれているのに、この病院では床に物を無造作に置くんですね。
赤ちゃんの沐浴もたらいを床の上に置いてやっていましたし、清潔面では首をかしげたくなるようなことが幾つもありました。

最初の頃は、日本との違いばかりが目につき、「それはおかしい、間違っています」とつい言ってしまいそうになることもたびたびでした。
でも、ある時、気づいたのです。日本と比較し、指導しようとするのは、こちらのエゴ。自分は良かれと思って言っていることでも、その国の事情や文化でしょうがないことはたくさんあります。

「1行為1手洗い」も徹底されていませんでしたが、それからは、どんな時に手を洗い、またアルコール消毒するか、ベトナム語で図説にして貼り出したり、みんなが分かりやすい、やりやすいようなかたちにして共有するようにしました。
「日本はこうだからベトナムも」ではなく、「日本はこうだけど、この病院ではどうやればいいか、一緒に考えましょう」。そんなふうに言えるようになったのが、自分自身の一番大きな変化だったように思います。

私がこの2年間でどれだけのことができたか分かりません。ただ、新生児科の科長さんがずっと言ってくれたのは、「○○○は、すべて患者さんのためを思って一生懸命やっている。それはみんな見習いなさい」ということでした。

私はただ、当たり前のことをやっているだけ。でも、私の働く姿を見て、何かを感じていただけたのだとしたら、私なりの役目は果たせたのかなと思っています。

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最終回は、ベトナムでの活動を終えて帰国後に転職。区立保育園で働くAさんの現在の思いをお伝えします。

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