息子さんが3歳のときに離婚。シングルマザーとなったS・Tさんは、それまで働いていた東京から、ふるさとの九州に戻ることにしました。
悩みながらも、自分の気持ちに正直に生きることを選び、子どもを育てるために職場と環境をリセット・・・。大きな決断を前に、なかなか判断ができない人には、何かを感じていただけるのではないでしょうか。
看護学校卒業後から現在まで、4回にわたってお伝えするSさんの看護師転職ストーリーをじっくり読んでみてください。

*看護師転職ヒストリーSさん 1回目2回目3回目4回目(最終回)

S・Tさん(46歳)のプロフィール

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●看護業界歴…25年

●看護の仕事に就く前…看護専門学校

●転職回数…6回

●現在の勤務先…総合病院(内科)

●いままでの勤務先…総合病院(脳外科)、療養型病院、訪問看護ステーション、クリニック(内科)、社会福祉協議会(健康調査)、総合病院(精神科)

●保有資格…正看護師

総合病院に5年間勤務し、結婚を機に退職

私は九州出身。地元の看護学校を卒業後、学校の先生が薦めてくれた神奈川県の総合病院に就職しました。
そこは江ノ島に近く、面接をしてくれた職員の方に、「江ノ島もあるし、いいところですよ」とアピールされたのが印象的でした。地方の学生には、江ノ島や湘南が響くだろうと思われたのかもしれませんね(笑)。

配属されたのは、脳外科がメインの病棟です。術後で身動きがとれない脳出血の患者さんが多く、同時に口腔外科や耳鼻科で手術を終えた患者さんも入ってくるため、とにかく猛烈に忙しい。
3交代勤務でしたが、時間通りに帰れたのは、退職するまでの5年間で数えるほど。休日も疲れ果ててしまい、もちろん江ノ島には一度も遊びに行っていません(笑)。

いま同じことをやれと言われたら、「とんでもない!」ですが、当時はそれが普通だと思っていました。先輩もドクターもとても厳しいけれど、命にかかわる仕事である以上、怒鳴られるのも当たり前。
そうやって叩き込まれたことが看護師としての私の原点になっていますし、結婚というきっかけがなかったら、もっと長くこの病院にいたかもしれません。

看護師になって5年後に結婚。新居が東京となり、通勤に時間がかかるため退職しました。それまでが激務だったため、少しリフレッシュしたいと思い、1年ほど休業して家事をしたり、車の免許を取ったり、ぶらぶらと・・・(笑)。

私の人生で、こんなにのんびりした時間はこの時が最初で最後かもしれません。少なくても、その頃の私は、何度も転職し、東京から九州、また十数年後に東京と、転居を繰り返すことになるとは予想もしていませんでした。

ひとりで子どもを育てる責任を負い、再出発

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結婚して1年後、自宅近くの療養型病院に転職しました。ここは日勤のみで週5日のパート勤務。1年後に妊娠したのですが、流産しかかったため退職しました。

無事に出産し、しばらく育児に専念したあと、訪問看護ステーションで仕事を再開したのは、息子が1歳くらいの頃だったと思います。
ここもパートですが、曜日や時間が選べ、残業もなく、保育園が終わるまでには仕事を終えることができ、働きやすい環境でした。

そんな一方で、夫婦の関係がギクシャクするようになっていました。子どもが生まれ、私の目が子どものほうに向き始めることで、夫は疎外感のようなものを感じていたのかもしれません。イライラをぶつけたり、自分の価値観を押し付けるようになってきました。

私は、こうと思ったらパッと気持ちを切り替えるタイプですが、そこに至るまではものすごく悩みます。
これ以上自分は結婚生活に耐えられないとしても、離婚すれば、子どもから父親を奪うことになります。親の勝手な都合で、この子に寂しい思いをさせたり、人生まで変えていいんだろうか・・・。

悩みに悩んだ末に決断したのは、その責任を負う覚悟ができたからです。
母親役と父親役、私が両方をして、子どもを責任持って食べさせ、育てていこう。
息子はこの時、3歳。まだ手がかかる時期だったため、実家の両親の助けを借りられる九州に戻ることにしました。

不思議と、転職先の心配はそれほどしていませんでしたね。
他の職業だったらどうか分かりませんが、看護師なので、「働き場所はどこかしらあるだろう」と思っていました。

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次回は、ふるさとの九州に戻り、息子さんを育てながらキャリアを積んでいく様子をお伝えします。

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