面接を受けに行った療養型病院の担当者の判断で、別の病院である急性期の総合病院に就職が決定したK・Nさん。「うちでしっかり勉強しなさい」と言われた通り、ひたすら技術を学ぶ毎日でした。
先輩たちは厳しく、心ない言葉を投げつけられることも・・・。それでも挫けなかったのは、「患者さんに好かれるナースになる」という目標があったため。患者さんを看取ることになったときも、心を込めてエンゼルケアを行い、ナースとしての役目をしっかり果たしていきました。

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K・Nさん(38歳)のプロフィールimage003

●看護業界歴…18年

●看護の仕事に就く前…看護専門学校

●転職回数…3回

●現在の勤務先…リハビリ病院

●いままでの勤務先…総合病院(急性期病棟)、総合病院(眼科、耳鼻科、形成外科)、療養型病院

●保有資格…准看護師、正看護師

患者さんに好かれるナースになろう

学校卒業後に就職した総合病院での配属先は急性期病棟。面接のときに事務長さんから、「うちでしっかり勉強しなさい」と言われた通り、技術を身に着けるのに必死の毎日でした。

正直に言うと、最初は仕事にまったくついていけませんでした。つらかったのは、技術が未熟なことを、一部の先輩から「だって衛看(衛生看護科)卒だものね」と、何かにつけ皮肉られたことです。というのは、この病棟の先輩の多くが、准看として働きながら勉強して正看になった人たち。要するに、同じ正看でも、学校を出たての私みたいな新人は実践経験がないから「使えない」。そう言いたいんですね。

いまは新人を「褒めて育てる」ようになりましたけど、昔は「叱って育てる」のが当たり前。それに、新卒の新人だから実践力はないし、仕事に馴れていないのはしょうがありません。つまり、そんなことを言われないような自分に早くなればいいだけのこと。
このとき思ったのが、技術はもちろん、この先輩より患者さんに好かれる看護師になろうということでした。

後輩いじめをする人は、どこの職場にも少なからずいると思います。そうした人は、いつも怖い顔をしていて、患者さんに対してもきつい態度をとっていたりしていませんか?
私は、そんなナースにだけはなりたくない。病気と闘っている大変な時だからこそ、冗談でもいいから話をして笑ってもらったり、和やかな気持ちになってもらいたいんですね。

人工呼吸器の取り扱いや離脱訓練など、技術も身に付いて先輩からとくに何も言われなくなるまで1年。「昔は注射がヘタだったのにね」「ごめん、ごめん」。こんなふうに患者さんと冗談を言い合う余裕ができたのも1年を過ぎたあたりから。
そして、患者さんの死に初めて直面したのも、この頃でした。

看取りのときも、冷静でいるのがナース

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初めて患者さんが亡くなったとき、私は泣けませんでした。
そんな自分を「冷たいのかな?」と思う一方、ここで私たち看護師が泣いていたら、誰が家族をフォローするんだろう? 一時の感情に左右されてはいけないと、自分を制している自分にも気づきました。

できれば救いたかったし、亡くなられたのは悲しい。でも、一番悲しいのは家族ですよね。残された家族のために、私たちは冷静でいなければならないというスイッチが自然に入ったんだと思います。

初めてのエンゼルケアも落ち着いてできました。このときの気持ちは、どう表現したらいいでしょうか。単に冷静というのとも違うし、いろいろな感情が心のなかで動いてはいるけれど、すべてを受け容れた静かな気持ちと言ったらいいでしょうか。
体を清め、お化粧を施しながら、亡くなったおじいちゃんに、「こんなになるまでつらかったよね、よく頑張りましたね」と自然と話しかけていました。

それから何十人もの方のエンゼルケアをさせていただきましたが、どんな時も心を込めて行ってきたつもりです。顔が黒ずんでいたら、チークをほんのり入れて陰影をつける。体も顔と同じような色にする・・・・できるだけ元の姿にしてあげたいんですね。

死は、生の終わりかもしれません。でも、私は、「死は、その人が生きてきた証し」だと思っています。だから、どういう生い立ちで、どんな生活を送ってきたか思いを馳せながら、ねぎらいの言葉をかけ、心を込めてケアしてさしあげたい。そして、元気だった頃とできるだけ同じやさしい表情で家族と対面し、お別れをしてほしいと思っています。

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次回は、急性期病院での5年間の勤務を経て、療養型病院に転職するまでを辿ります。

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