看護師になるという職業選択を早い時期に行い、看護科に進学したM・Tさん。専攻科までの5年間の一貫教育を終え、国立病院に就職してからも、看護師は自分の天職と思って一生懸命に仕事に取り組んできました。けれど、つらい局面もあり、何度か離職を考えたこともあったそう。

どんな仕事も平坦な道のりばかりではありません。逆風が吹き、思うように進めないこともあります。もしいま、仕事や職場がつらく、追いつめられたような気持ちになっていたら、少し休み、リセットしてみるのもいいのではないでしょうか。看護師としてのキャリアを手放さず、前向きに進んでいくためにも、4回にわたってお伝えするMさんの転職ストーリーをじっくり読んでみてください。

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M・Tさん(28歳)のプロフィールimage003

●看護業界歴…6年

●看護の仕事に就く前…5年一貫看護課程

●転職回数…1回

●現在…育児休業中

●いままでの勤務先…国立病院(呼吸器内科、腎臓内科、神経内科、膠原病内科)、個人病院(内科、外科)

●保有資格…准看護師、正看護師

上司の感情に振り回され、涙が止まらない

私は、小さい頃から看護師になりたいと思っていました。それはどうしてなのか、中学3年生のときに考えてみたんですね。
このときに出た結論は、人が一番困り、誰かに頼りたいと思うのは、病気になったとき。そんなときの支えになれるのが看護師で、私はそうした人になりたいんだということでした。

こうして、高等学校看護科に進学。ここで3年と専攻科2年の計5年間を経て看護師となり、地元である四国の国立病院に就職しました。

配属されたのは呼吸器内科、腎臓内科、神経内科、膠原病内科の4つの科が併わさった病棟です。重症の患者さんばかりで、毎日が緊張の連続。また、いっぺんにいろいろな業務をこなさなければいけないため、1日のタイムスケジュールを分刻みで書き出し、あとで振り返って時間配分を見直したりと、仕事に慣れるまでは本当に必死でした。

実は、2年目に辞表を出そうとしたことがあります。多重業務にもなんとか馴れ、優先順位のつけかたもうまくできるようになっていたのですが、出勤してナースの詰め所に行くと、なぜか涙が出て止まらなくなってしまったんですね。

ストレスの原因は、師長さんです。気分でものを言う方で、機嫌のいいときは猫なで声、そうでないときはヒステリックに怒鳴り散らす・・・。いつ機嫌が変わるかわからないため、毎日ビクビクして過ごしていました。

このままでは辞めるしかないと思い、病院内のセラピストの方に相談すると、しばらく休んだほうがいいと言われ、そうすることにしました。
1カ月何もせず、自宅でゆっくり過ごすうちに、「やっぱり看護師をしたい」と思えるようになりました。この時、休むことができ、本当によかったと思います。

新しい師長さんのもとで、イキイキ働く

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偶然なんですけど、私が休んでいる間に師長さんが異動になったんですよ。
次の師長さんは、つねに冷静で客観的に評価をされる方。おかげでそれからは楽しく働けた、と言うと前の師長さんには申し訳ないのですが、上司に恵まれるか、そうでないかの違いはやはり大きいと思います。

高校時代から、私は、自分に「できないこと」があると、必要以上に落ち込むところがありました。よく言えば、完璧志向。100%できるようにしたいので、どこを修正したらできるようになるか考え、こつこつ努力するタイプです。
だから、感情的に怒鳴られたりすることに耐えられず、まるで自分を全否定されたようなつらさを募らせていったのかもしれません。

新しい師長さんは、そうした私の性格をよく理解してくれ、「できること」を積極的に評価してくれました。「文章を書くのが上手だから、ブログの係になって」とか、リーダーも任せてもらうようになったんですよ。

上司にも恵まれ、やりがいを感じて働く一方、就職して4年目になった頃から、体力的にも精神的にも限界に近づいてきているような気がし始めていました。

当時は3交代勤務。ハードワークは覚悟していましたし、最初は厳しいくらいのところがいいと思って選んだ病院です。それでも実際に働いてみると、あまりの激務にへとへと。もうこれ以上は無理かなと思うようになったとき、私が考えたのは、看護師を辞め、違う職業に転身することでした。

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次回は、看護師を辞めたくなった理由と、辞めずに頑張り続けた日々を振り返ります。

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