一つの世界しか知らない自分に限界を感じ、可能性を広げたいと、5年間勤務した病院を退職したT・Rさん。看護師のキャリアをゼロリセットすることに不安はなく、むしろ、新しい挑戦ができることが楽しみだったそう。全く畑の違うパソコンの勉強をはじめました。しかし思いがけず、Tさんは自分の原点を発見します。

*Tさんの転職ヒストリー 1回目2回目3回目4回目(最終回)

T・Rさん(44歳)のプロフィール2_1

●看護業界歴…9年

●転職回数…7回(非常勤での勤務先含む)

●いままでの勤務先…がん専門病院、総合病院、調剤薬局(医療事務)、クリニック(内科)、訪問看護、他

●保有資格…正看護師、ケアマネジャー、第一種消化器内視鏡技師

これからの社会にはパソコンが欠かせない

外の世界に出て、もう一度自分を鍛え直そう。そのためには全然違う職業がいい。そう思った私は、パソコンの勉強をすることに決めました。いまから10数年前のこと。どんな仕事でもPC能力が必要になりつつあったときです。

これからはパソコンの時代。もともと新しいことを勉強するのが好き。PCに興味もあったので、自分としては前向きな転身のつもりでした。

ところが、病院を退職したことを知った父が激怒。三重の実家に帰るよう言い渡されてしまったのです。しかも、看護師の仕事を続けるのが絶対命令。看護学校への進学では自分の意思を通したとはいえ、父親の気持ちを思うと、聞き入れないわけにはいきません。

そこで妥協案として、看護師として働きながら、パソコンの専門学校にも通うことにしたのです。次の病院には本当に申し訳なかったのですが、非常勤で4時までの勤務にさせていただき、夕方から専門学校に通いました。

専門学校での勉強は約1年。忙しい日々でしたが、なんとか無事卒業できました。コース修了と同時に病院は辞め、晴れてPCスキルを活用できる就職先を探し始めました。

その頃には父の機嫌もすっかり直っていましたね。むしろ、私にパソコンを教えてもらえるのを喜んでいました。「そうか。そうやっていろいろなことを勉強していくのも必要だよな」。ある時、父が独り言のように呟いたのですが、それは、私に向けた応援の言葉だったのではないかと思っています。

医療事務の仕事がこんなに楽しいのはなぜ?

2_2転職したのは、地元で薬局チェーン事業を手広く展開する会社。職種は、調剤薬局での医療事務です。ちょうど医薬分業が言われ始めた頃で、そのさきがけとしての調剤薬局の役割が注目されていました。

実は、私が最初に探していた仕事は、パソコンのインストラクターです。ところが、名古屋や東京などの大都市とは違い、地元の地方都市ではまだまだ求人が少なくて。たまにあっても不採用でした。面接で、「もともと看護師さんなのに、どうして?」と怪訝な顔をされることもたびたびでした。

「私はやっぱり看護師としてしか見てもらえないのか…」と、嬉しいような、残念なような、複雑な気持ちでした。もともと新しい分野に取り組みたかったので、医療系は避けたかったのですが、やむを得ず医療事務を選んだ部分もありました。

ところが、実際に仕事をしてみると、とても面白いんです!「どうしてこんなに仕事がおもしろいんだろう?」と考えたとき、自分が看護師だったからだと気がついたのです。

医療の知識があり、こういう患者さんにはこういう薬が必要だということもある程度分かっています。薬剤師の仕事を間近に見ながら、薬に関する知識を学べるのも嬉しい。なにより、事務であっても、患者さんに良質な医療サービスを提供する一員として働けるのが楽しかったのです。

とても充実した日々でしたが、3年後、以前からつきあっていた彼が海外赴任することになったのをきっかけに結婚。退職し、夫が住む東京に行くことになりました。上京、そして、すぐ海外暮らしとなれば、仕事はしばらくできません。

でも、どんなかたちであれ、働いていたい。私のベースは看護師。自分は看護師なのだから、それを生かし、できることを広げていけばいい。そう思いました。

外の世界に身を置くことで、自分のキャリアの軸を見つけることができたんだろうな、と思います。

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次回は、妊娠・出産によって迎えたTさんの転機の日々を辿ります。

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