看護学校を卒業してS・Iさんが就職したのは、先端医療で名高い大学附属病院。企業で事務職をしていた時とは違う、「待ったなし」の激務に戸惑いながらも、ここで修業して一人前の看護師になると決め、業務に邁進します。
家庭に事情ができ、退職するまでの3年間。それは、患者さんのことを考え、気持ちのこもった看護をしているか、つねに自分自身に問いながら働く大切さを学んだ時間でした。
*Iさんの転職ヒストリー 1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)
S・Iさん(42歳)のプロフィール
●看護業界歴…10年
●看護の仕事に就く前…金融系大手企業
●転職回数…4回
●いままでの勤務先…大学附属病院(循環器内科・心臓血管外科)、クリニック(人工透析室)、医院(小児科・内科外来)、老人ホーム(健康管理室)
●保有資格…正看護師
資格取得はゴールではなく、スタート
当時、ほとんどの大学病院の附属看護専門学校には給付型奨学金制度がありました。卒業すると系列の大学病院に就職して、3年間、いわゆる“お礼奉公”をするんです。私が学んだ学校も学生のほぼ全員が奨学金を利用しましたが、希望の病棟に入れるかどうかは、自分の成績次第。
だから、できるだけいい成績をとり、一番忙しくて、修行ができるところに行きたいと思っていました。というのも、看護学校を卒業すると、29歳。体力的なことを考えても、大病院でバリバリ働けるのは数年・・・・40代、50代の方に「なに言ってるのよ!?」と叱られそうですけど(笑)。でも、スタートが遅れた分、集中して修業したかったんですね。
看護学校を無事に3年で卒業し、配属されたのは、循環器系内科と心臓血管外科が合わさったセンター。希望の病棟でしたが、業務のハードさもスピードも、予想をはるかに超えていました。
緊急性の高い患者さんがCCUに入り、安定すると病棟へ移ってくる。ひっきりなしにベッドの移動があり、同時に自分が受け持つ患者さんに対応しなければなりません。
日勤を終えてからも仕事は山積み。翌日の薬や点滴の準備をし、会議に出、パソコンに向かって書類を作り・・・・帰宅するのは夜11時頃。しかも、先進医療で知られている大学病院のため、最先端の技術が次々入り、その勉強もと、毎日が多忙を極めました。
同期の新人ナースの半分が、数カ月後に退職しました。それほど厳しい世界。それでも私が辞めようとは思わなかったのは、看護師として一人前になるためには、最低でも3年間、最初の職場で働いて修行しないといけないと思っていたからです。
看護師の資格を取ったのは、ゴールではなく、あくまでスタート。後戻りできる場所も時間もない私には、とにかく早く一人前になるしかありませんでした。
「患者さんはどう思う?」と問いかけてくれた主任
実は、自分が看護師に向いているのかどうか、いまだによくわかりません(笑)。
私は、自分が納得できるまで調べ、じっくり考えてから動くタイプ。「動きながら考える」ことを求められる緊急性の高い病棟の看護師は、もしかしたら向いていなかったかもしれません。
そのため、臨床に入ってすぐの頃は少し苦しみました。でも、目標とする先輩に厳しく指導されながら、少しずつ臨機応変に動けるようになっていきました。
それは、主任看護師さん。仕事はスピーディーで、しかも丁寧。丁寧にやろうとすると時間がかかってしまう私には、どうやったらそうなれるか不思議でした。でも、主任は、「最初は丁寧でなければ駄目よ。それを繰り返しやっていけば、スピードはあとからついてくるから」と教えてくれました。
心に残っているのは、「そのやり方をなぜあなたは選んだの?」「それで患者さんはどう思うの?」と、いつも言われたことです。
きっと、主任自身が自分にそう問いかけながら仕事をされていたんでしょうね。
看護は、単なる作業で終わってはいけない。どんなに忙しくても、どの方法が患者さんにとってベストなのか、動きながら考えなさい。そして、気持ちがこもった看護をしなさい。私には、そうした教えに聞こえました。
まだまだこの病院で働き、主任や先輩たちからたくさん学ばせてもらいたかったのですが、3年後、家庭の事情があり、退職を決めました。
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